学校に行きたくないと訴える息子。
毎朝のように繰り返されるやり取りに、私も息子も疲れ果てていた。
学校に行かせようと必死な私と、学校に行きたくないと必死に抵抗する息子。
そんな日々が続く中で、息子は少しずつ追い詰められていった。
もう息子は限界だった。
息子は、もう限界だった。
「死にたい」
言葉が、重く重くのしかかる。
そんな言葉まで口にするようになり、必死に行きたくないと訴えた。
私は学校を休ませることにした。
これ以上、無理をさせてはいけない。そう思ったから。
けれど、学校を休ませるようになっても、私の心の中には別の気持ちが残っていた。
それは、「休ませてあげている」という気持ちだった。
今思えば、そこには親としての驕りがあったのかもしれない。
もしかしたらこれは甘えの延長なのではないか・・・と。
ほんと最低な母親だ。
この期に及んでもまだ「学校に行かせたい」という気持ちが消えないのだ。
今思えば申し訳ない気持ちでいっぱいだ。。
昔は何でもできていたのに
なぜ、私が息子のことを甘えなのではないかと思ってしまったのか。
それは、昔の息子を知っていたから。
保育園時代にも行き渋りはあった。
けれど、保育士さんから「連れてきてくれたら大丈夫です」と言われ、
その言葉を信じて連れて行くようにしていると、いつの間にか普通に通えるようになっていた。
運動会では選手宣誓を任され、堂々と宣誓の言葉を言う息子。
キビキビとした踊りを披露する息子。
お遊戯会では大きな声でハキハキとセリフを言い、役を全うする姿。
あんなに立派にできていた息子。
気づけば、みんなの輪の中でお手本になるような存在になっていた。
だからこそ、今の状況が信じられなかった。
あんなにできていたのに、どうして?
私の頭の中には、そんな思いがあった。
でも、もうここには昔のような息子はいない。
学校を休ませれば、暴言や暴力はなくなると思っていた
学校に無理やり連れて行こうとしていた頃、息子の暴言はひどかった。
学校に連れて行こうとすると、親に向かって叩いたり蹴ったりの暴力、クッションや物を投げて必死に抵抗する。
そんな姿を見るたびに、私も苦しかった。
だから、学校を休ませれば、こうした行動もなくなると思っていた。
学校に行かなくてよくなれば、息子も落ち着くはず。
そう信じていた。
けれど、現実は全く違った。
暴言や暴力は、学校以外の場面でも出るようになった
それまで学校に連れて行こうとするときにだけ出ていた暴言や暴力が、違う場面でも出るようになっていった。
勉強をさせようとしたとき。
自分の思い通りにならなかったとき。
些細なことがきっかけで、突然怒り出す。
「ふざけんなぁ!」
そう叫びながら物を投げる。
ランドセル、筆箱、鉛筆。
さらには本棚までひっくり返した。
家中の壁紙をガリガリ剝ぐようになった。
自分の髪の毛を引っ張るようになった。
声にならないような声を出すようになった。
学校を休ませているのに、なんで?
学校に行かなくてもいいようにしたのに、どうして?
そう思っているそばから、宿題のプリントを破ったり
かと思えば、プリントを破ったこと先生にばれないよね?と不安になったり
かなり情緒不安定な状態。
そんな行動が日々の生活の中で当たり前になっていく。
もうどうすればいいのか分からなくなった。
荒れていく息子を前に、涙しか出なかった
もう、私が限界だった。
目の前にいる息子は、私が知っている息子とは違っていた。
以前のように笑っていた息子。
運動会で堂々と選手宣誓をしていた息子。
みんなの前で大きな声を出していた息子。
そんな姿は、もうどこにもなかった。
ただただ、涙が出た。
息子は変わった。
いや、私が変えてしまった。
まだ7歳の、こんなに小さな子を。
こんなにも荒れ果てた子どもにしてしまった。
たくさんたくさん追い詰めてしまった。
息子を必死に変えようとしていたけど、
変わるのは息子ではない、私だ。
親出る私たちが変わらなければいけないんだと
それもきちんとした正しい方法で。

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